令和2年 「御会式」
令和2年11月29日(日曜)
日蓮聖人御入滅第739遠忌「御会式」を本年も無事お勤めする事が出来ました。
本日はその際にご紹介させて頂きました。日蓮聖人の「ご遺文」をご紹介させて頂きます。
日蓮聖人のお言葉
夫(そ)れおもんみれば日蓮(にちれん)幼少(ようしょう)の時より
仏法(ぶっぽう)を学びそうらいしが念願(ねんがん)すらく、人の寿命(じゅみょう)は無常(むじょう)なり。
出(いず)る気(いき)は入(い)る気(いき)を待(ま)つ事なし。風の前の露(つゆ)、尚(なお)譬(たとえ)にあらず。
かしこきも、はかなきも、老たるも、若きも定め無き習(ならい)なり。
されば先(ま)ず臨終の事を習(なろ)うて後に他事(たじ)を習(なろ)うべし
(現代語訳)
考えてみるのに、日蓮は幼少の時から仏法を学習してきたが、よくよく思うのに人の寿命は無常であって、
吐く息は、吸いこむ息を待つ間もないくらいであり、風の吹く前の露のようなもので、いつ散ってしまうかわからないものである。
賢い人も、そうでない人も、老人も若い人も、すべていつ死を迎えるか定めのないことである。
そこでまず臨終のことをよくわきまえて、その後で他の事を考えるべきである
このご遺文には「命の儚さを知り・自分の死・臨終の事をよく考えなさい」と言うことが説いてあります。
私自身、今年で妙勝寺住職となりお陰を持ちまして9年目を迎える事が出来ました。
この9年間で100名以上の本当に沢山の方をお送りさせて頂きました。
天寿を全うされた方、働き盛りの方、人生これからの方、この世に生まれようとしている赤ちゃん本当に沢山の方です。
そんな経験を通して、命の儚さ、無常さを自分なりによく理解できます。また、自分自身「死」と言うものを現実的に思えるようになりました。
さてそんな儚い命の最後、臨終の時にどうありたいか?
皆様は考えたことはありますか?
私は一人でもいいから自分と出会えたことを喜んでくれる人がいたらいいな!!
と思っています。
そうなるには、それ相応の生き方をしていかないといけないと思います。
臨終の事をよく知り、考える事は、生き方と向き合う事に繋がるのではないかと思います。
そう思わせて頂いた。日蓮聖人のお言葉に感謝申し上げます。 合掌